開催記録|【第2回】Measuring the mind(Borsboom,2005)を読む@オンライン

開催記録|【第2回】Measuring the mind(Borsboom,2005)を読む@オンライン

 先日,Measuring the mind(Borsboom,2005)を読む勉強会をオンラインで開催しました。

 『Measuring the mind: Conceptual issues in contemporary psychology』は,こころの測定(とくにテストや質問紙を利用した測定)に携わる心理学者にとって示唆に富む内容の書籍です。

 少し前の書籍ではありますが,現在でも参考になると考えられることから,本書について学ぶ機会をつくりたいと考えました。

 今回も活発な議論が行われました。ご参加いただいた皆様,誠にありがとうございました。

 各章の担当者から本書の内容の理解の助けになるような概要を頂戴しましたので,以下に記載いたします。

第1回の開催記録はこちら

第2回勉強会

参加者:17名
開催日時:2021年3月13日(土)
開催時刻:14時〜17時40分(ロスタイム:〜18時)

第4章 Scales

 第4章では、表現的測定理論を、その中心的な要素である測定尺度の観点から論じている。

 1930年代、心理学で測定が成り立つかどうかを決めるために英国科学振興協会が設立した委員会によって、心理学は窮地に立たされた。主な批判は、経験的な連結操作を伴う拡張的測定のみが基本的測定の唯一のケースだと考えたCampbellによるもので、この経験的な連結操作の証明が困難であったため、心理学における測定は基本的測定とみなされなかった。このような状況を受け、表現的測定理論が心理学へと導入され、ひとつの発展を遂げた。

 心理学における当初の表現主義では、測定を「規則に従って数字を割り当てること」と定義し、そこでは関係する規則の性質は明示されておらず、これがどのような規則であっても良いとされた。数字が規則に従って割り当てられているという事実が、測定の唯一定義された特徴である。そのため、何かが「本当に」測定されているかどうかを問うことは無意味であった。表現的測定は、測定の公理を満たすような代数的表現(経験的関係システム:Ο [Observed] =〈A, R, ⊕〉、表現:R [Representation]= 〈N, S, ✭〉)で、対象を測定する尺度を構築する。このORの組み合わせを測定構造と呼ぶ。表現主義者の見解では、測定とは、本質的には数値システムにおける対象間の関連と対象の準同型の表現とされる。測定のための公理が満たされていれば、表現的測定では、例えば、質的な関係「≤」から量的関係「≤」を導くことができる。

 そして、表現主義者は連結測定構造を開発し、経験的な連結操作を伴わなくても基本的測定が成り立つことを証明した。これにより、基本的測定の理論が、心理学における測定に対しても利用可能になるような方法へと拡張された。表現的測定理論では、心理学は物理学と同等の立場の測定とみなすことができる。しかしながら、今日の心理学における測定が、このような経緯によって成立しているという哲学的背景は、あまりにも知られていないのが現状である。

 表現的測定は、理論語(抽象的で、直接観測できない対象、特性など)を含む文が、観測語(観測可能な対象、特性など)だけを含む文に変換されるかを検証する論理実証主義の試みと相性が良く、実際に表現主義の経験的関係と論理実証主義の観察文との間には類似性がみられる。表現的測定は、これらの前提によって測定プロセスの合理的再構築を行うことができ、これには形而上学的な仮定が伴わないという測定における大きなメリットがあった。しかし、それゆえ表現主義は論理実証主義と同様の問題に直面してしまう。

 両者は形而上学の導入を強く嫌ったが、表現的測定理論は、測定を実践しようとすると形而上学的仮定を前提とせざるをえないことが明らかになってしまう。加えて、潜在変数モデルがデータの潜在構造を理想化するのに対して、表現的測定は、データの観測可能な関係(構造)を理想化する。そのため、表現的測定は、測定の実践に伴う誤差をうまく扱うことができない。これらの問題に対していくつかの解決方法が提示されているが、いずれの方法でも表現主義の中心的な理念を失うことにつながってしまう。また、そのいくつかでは最終的に潜在変数モデルとほとんど変わらないモデルを構築することになる。

 表現的測定理論は測定の哲学的理論としては理想的にみえるが、その公正さを保証するための公理の厳しさにより、実際には現実的な測定の実践にはほとんど適用できないという大きな困難を伴うものであった。

(報告者:須藤竜之介による概要)

第5章 Relations between the models

 これまでの章では3つの測定モデルについて個別に論じ,真の得点モデルは操作主義的,潜在変数モデルは実在論的,表現的測定モデルは構成主義的であることを説明した。第5章ではこれら3つの測定モデルの関係性について論じ,これらを統合的に結びつける視点が存在することを示す。

 3つの測定モデルは統語論のレベル,すなわち数学的な定式化においては互いに密接に関連している。具体的には,(1) あるテストの得点の期待値が別のテスト得点の期待値と線形に関係するという制約の下での真の得点モデルは因子負荷量が全て等しい共通因子モデルと一致し,(2) 加法的な潜在変数モデルは表現的測定モデルの公理を満たし,(3) これらの事実から真の得点モデルも表現的測定モデルの公理を満たしうる。このように,統語論的には3つの測定モデルは容易に結びつくが,これまでの章で示した通り,3つの測定モデルは意味論的・存在論的には相容れない。これは,統語論的視点が確率解釈の問題と無縁であるためである。

 確率解釈として傾向解釈を導入すれば3つの測定モデルは意味論的に結びつけられる。その場合,真の得点モデルは誤差構造の理論を提供し (記述),潜在変数モデルは真の得点の生成過程に関する仮説を提供し(説明),表現的測定理論は真の得点に対する許容可能な変換方法を教えてくれる (表現)。このように,3つのモデルは測定プロセスの異なる側面に焦点をあてたものとして統一的に理解できる。しかし,傾向解釈を否定した場合には,3つの測定モデルは意味論的・存在論的に分離してしまう。したがって,3つのモデルを統合できるかどうかは傾向解釈を受け入れるか否かという哲学的仮定に依存する。

 特定の測定モデルや確率解釈は理論的に強制されるものではない。あらゆる確率解釈は何らかの思考実験を要するため,「洗脳実験」のような想定をしなければならない傾向解釈をばかげていると一笑に付すことはできない。また,傾向解釈は3つの測定モデルを統合できるという意味でメタ理論的に有用な方法であるため,余計な仮定であるからという理由で倹約性の原理に基づいて切り落とす訳にもいかない。心理学者が確率法則の構築を目指すのであれば,どのような意味で確率的であるかを決定するのは心理学者の仕事であり,哲学的に解決しうる問題ではない。

 古典的テスト理論には異なる手続きで同じ属性を測定することができないという重要な問題があり,これを解決するための定式化を行うと潜在変数モデルへと昇華する。また,数学的な厳密さを求める表現的測定理論は観測対象の関係性の起源について何も語らないが,その主張を弱め,属性についての実在論と誤差の存在を認めることで潜在変数モデルに近づく。したがって,統合の軸になるのは潜在変数モデルである。特に,属性が実在し,それが決定論的関係を持つこと,すなわち実在する属性が原因となって測定値が得られるという因果構造を導入することが測定の概念化に不可欠である。

(報告者:武藤拓之による概要)

第6章 The concept of validity

 本書で論じてきた心理学的測定の問題は妥当性の議論へとつながる。既存の妥当性概念(旧妥当性)と新しい妥当性概念(新妥当性)は3つの観点から対比できる。

 第一に,認識論vs存在論である。旧妥当性は妥当性検証の手続きを分類することで妥当性とは何かに迫ろうとしていた。すなわち,旧妥当性では妥当性は認識論の問題であった。しかし,妥当性検証の手続き(測定)には,一つの例外を除いて普遍的な特徴がないことから,そこにのみ着目していると数多くの妥当性が生まれる(なので最近はすべての妥当性は構成概念妥当性であるという主張もなされている)。測定に唯一共通することは,測定結果に至るまでのどこかでその値の決定に因果的に影響する属性があるという仮定である。すなわち,新妥当性では妥当性は存在論の問題であると考える。「テストが測定される何かにとって妥当である」とは,現実にどのようなものが存在すると考え,それが測定結果に因果的にどのように影響すると考えるか,という問題である。前者は第二の観点(意味vs指示対象)に関わり,後者は第三の観点(相関関係vs因果関係)に関わっている。

 旧妥当性においてテストで測定される何か(態度やパーソナリティなど),すなわち理論語は指示対象はないものの意味があるものとして考えられていた。その典型が法則定立ネットワークである。しかし,心理学では理論語の意味を定義できるような法則定立ネットワークは存在しないため,非現実的である。したがって,旧妥当性では理論語に意味がなく,理論語を扱えない。理論語を扱うためには,理論語に指示対象があるという仮定をおく必要があり,その前提のもとで初めて「知能テストは知能に対して妥当であるか? 」などの問いが提起可能である。そうなると,妥当性の問題は測定される何かの変動をうまく捉えるテストを構成できるかという問題である。これは明らかに因果関係に関わる。なぜなら,測定には方向性(世界⇒道具)があるためである。したがって,妥当性も因果関係に関わっており,妥当性を相関関係で捉えるとばかげたことになる。たとえば,(社会科学では多くの物事が互いに相関するので)すべての物事がその他のすべての物事の測定にとって妥当であるという問題はその一例である。以上のことから,妥当性(新妥当性)とはテストの特性であり,妥当なテストは測定しようとしている属性(指示対象)の変動の結果をうまく伝えているということを意味する。

 このような新妥当性に従えば,既存の妥当性とは異なる箇所に妥当性の根拠を求めることになる。旧妥当性では,測定された後で妥当性が発見されていた。しかし,新妥当性では,測りたい属性がどのようなものであり,それが測定結果にどのように作用するのかを考える必要がある。すなわち,テストを分析する段階ではなく,テストを構築する段階に妥当性の根拠を求めることになる。天秤課題がその好例である。妥当性(新妥当性)にとって必要なのは,属性がどのように測定結果に影響を及ぼすか,すなわち反応行動の理論である。

 新妥当性はまだまだ検討の余地がある。たとえば,信頼性は妥当性の上限という旧妥当性における捉え方は,新妥当性においては無意味であろう。新妥当性は旧妥当性に付属する剰余物を排除したことで概念の明晰さと説得力はあがったものの,妥当性という概念でカバーできる範囲は減少してしまった。今後,さらなる検討をすすめることで,妥当性の問題は決して難しい問題ではないということが判明するであろう。

(報告者:仲嶺真による概要)

次回について

 『Measuring the mind: Conceptual issues in contemporary psychology』についての勉強会は今回で終わりです。

 次回は,4月17日(土)14時〜17時に「状況論を通して心について議論する」というテーマで研究会を開催する予定です。

 状況論とは,「頭の中」に認知・感情・学習を閉じ込める人間観を批判し,状況と一体化したものとして人間の幅広い営みを捉えようとする理論です。代表的な書籍としては『状況に埋め込まれた学習:正統的周辺参加』があります。

 このような視点は,単に心理学の理論という枠を超えて,私たちの人間の見方の転換を迫ります。次回の研究会では,状況論を参照しながら,「人間の捉え方」を考える時間を作りたいと考えています。

 詳細はこちらをご確認ください。参加をご希望なさる方は仲嶺(abcdigroom[at]gmail.com)までお知らせください。

 ともに「人間をとらえること」について考えられることを楽しみにしています。