みかんとりんご──婚活アドバイザー試論

みかんとりんご──婚活アドバイザー試論

みかんとりんごしか存在しない市場があるとします。ただし,その存在比率は異なっていて,りんごの流通が99%,みかんは1%しか流通していません。

Aさんはバイヤーです。市場からりんごあるいはみかんを買い付けて売ることを生業としています。

ここで,みかんが欲しいKさんがいたとします。みかんは希少価値が高いので,Kさんがそれなりのお金を持っていたら,Aさんは喜んでみかんを探し,Kさんに買ってもらおうとするでしょう。

同じく,みかんが欲しいMさんがいたとします。しかし,Mさんはあまり現金がありません。このときAさんは,みかんを探すあるいはMさんがみかんを買えるように頭を捻ることはしません。Mさんに対して,「そんな額じゃ買えないよ」と言うか,「りんごなら買えるよ」と言うかのどちらかです。

この話にはとくに違和感はないかと思います。Aさんはバイヤーですし,経済市場的にはその通りでしょう。

しかし,この話を結婚支援に置き換えて考えてみてください。Aさんは結婚支援をする人,みかんとりんごは恋人あるいは配偶者候補,Kさん,Mさんは恋人あるいは配偶者を探している人と読み替えてみてください。

Aさんの行っていることは「支援」と言えるのでしょうか。「支援」というよりも,バイヤーと同じく市場原理に則った商人ではないでしょうか。Aさんは自分のコスト(お金のない人がどうすればみかんを買えるのか頭を捻る)を避け,ベネフィット(費用対効果に見合う仕事をする)を最大化することを目的にしており,みかんが欲しい人の利益を最大化することを意図してはいません。Aさんが自己犠牲する必要はまったくないですが,「支援」というのは,支援を求める人の希望が叶うように支えようとすることではないでしょうか。

結婚支援を謳う方のパターンには大きく2パターンあります。上で書いたような「商人的」結婚支援と,「隣人的」結婚支援です。「商人的」支援は商売のために目立つ必要があるため,表に出てきやすいです。そして,そのような商人的支援は,「婚活者に現実を突きつける」(「そんな額じゃ買えないよ」「りんごなら買えるよ」と言うこと)ため,「正直で良い」「はっきりしている」などと言われていますが,これは自分の「商売」のためであり,決して婚活者のためとは言えないと思います。もちろん,正直に言わないといけないこともあると思いますので一概に正直がダメだとは言いませんが,「正直であること」=「良いこと」ではないわけです。

商人的な婚活支援者を好む人もいると思います。ですから,存在意義自体は否定しません。しかし,そのようなタイプの支援者が表立っている現状には危機感を覚えます。なぜなら,そのような商人タイプの支援者は婚活者の可能性を奪う可能性があるためです。

商人タイプの支援は,婚活者が将来どうなるかとか,あるいは,将来をどう切り開いていけるかよりも,婚活者が現実に適応することを目指します。そのため,無限の可能性があるはずの婚活者が,現実(現在良いとされている基準)に適応させられてしまいます。現実は最良でも最高でも何でもなく,むしろ悪い状況であるかもしれないのに,婚活者が現実に合わせられるという状況が生じます。もしかしたら,現実(現在良いとされている基準)よりも婚活者が持っていた基準の方が良かったかもしれないにも関わらずです。明らかに望ましくないでしょう。市場を最良(あるいは最善)と考えているとこのような悲しい状況が生じます。

そうならないためにも,「隣人的」結婚支援が必要です。「隣人的」結婚支援とは,市場あるいは現在の基準を最良と考えるのではなく,婚活者の持っている基準を軸に結婚支援を行うことです。たとえば,サッカー選手になりたいと思っている子どもにまずはサッカーボールを渡すとか,サッカークラブの情報を伝えるとかは「隣人的」支援です。これと同じように,婚活者の望みを叶えるには何が必要でどうしたらよいのかに頭を捻る支援の在り方が隣人的結婚支援です。このような支援の在り方は商売(金儲け)には向いていないと思います。商売をしようとした途端,「隣人的」支援は「商人的」支援に成り代わってしまう可能性があります。なぜなら,「隣人的」支援は圧倒的に費用対効果が悪いからです。ですが,だからといって「隣人的」支援が常に大きな自己犠牲を伴うというのもつらいと思います。

「隣人的」支援をいかに増やしていけるか。これが今考えている私なりの課題です。

恋窓-koimado- はじめました