安心と不安の自作自演:ラベルについて(2)

安心と不安の自作自演:ラベルについて(2)

Unscientific Psychology』(Newman & Holzman, 1996)を分担で読む読書会が先日ありました。

同書は心理学に対する批判の書で,刺激に富む面白い本なのですが,その中で「ラベル(カテゴリ)」の話が出てきます。

前回「診断名がつくこと:ラベルについて(1)」も「ラベルがつくことで当事者は安心する」という話があり,それについて考えてみました。たとえば,「自分はなぜ人とのコミュニケーションがうまくとれないのか」と悩んでいた人が,アスペルガー症候群という診断を受けた結果,「なるほど,私は病気だったからできなかったんだ」と安心するなどがこれにあたり,これはその人(当事者)の可能性が奪われるという点で弊害なのだと考えました。

これはニューマン&ホルツマンの指摘でもあります。

カテゴリはその人自身ではないのに,カテゴリが付けられることでその人が規定されてしまう。たとえば,アスペルガー症候群というカテゴリが付けられたとしても,AさんとBさんでは全然違う人なのに,その病気という枠組みでその人が捉えられてしまい,そこから話が進まない。ソーシャルセラピー では,そのカテゴリを,結論ではなくあくまで資源として用いて会話を進める実践なのだ。

というようなことが語られていました。簡潔に言えば,その人=カテゴリとして捉えずに,カテゴリを話のタネとしてその人の可能性を探っていこう,ということかと思います。

ニューマン&ホルツマンは,個人,精神疾患,発達という3つの主要な対象を軸に心理学という営み自体を批判するので,読書会での議論は多岐に渡ったのですが,今回も「ラベルがつくことで当事者は安心する」という話がありました。

言いたいことはわかるのですが,個人的にやはりすべてを納得することはできません。「当事者は安心するというのが果たして本当にメリットなのか気になっています」と発言したところ,同期の友人から「安心の前に不安がセットになっている」という類のご意見を頂きました。おかげで,ようやく腑に落ちました。

どういうことか以下で説明します。

「平均」で不安を作り出し,「名前」で安心を与える

精神障害は目に見えて実体があるわけではありません。だからといって目に見えない実体があるわけでもありません。「脳機能に欠損がある」という話もありますが,「脳機能の欠損」イコール「精神障害」ではありません。たとえば,統合失調症は思考や感情などを目的に沿ってまとめる能力(統合能力)が長期に渡って低下し,妄想や幻覚などが現れる病態と言われています(日本精神神経学会サイト)。しかし,健常者にも統合能力の低下はみられますし,社会生活の困難があってはじめて「統合失調症」と診断されます。すなわち,脳機能に欠損があるからといって,すぐに精神障害となるわけではなく,何らかの社会的機能の阻害が加わってはじめて「精神障害」となります。その意味で,「精神障害」は,当事者以外の人(多くは医療者)が何らかの基準をもとに当事者に「精神障害」というラベルを付けることによって生じます。逆に言うと,ラベルを付けなければ,あるいは,何らかの基準がなければ,「精神障害」は生じないとも言えます。

前回の記事での指摘(ラベルづけの問題)は,「ラベルを付けなければ」という部分に関わっていますが,今回の「当事者が安心することは本当にメリットなのか」という問題は,「何らかの基準がなければ」という部分に関わっています。

当然のことですが,何らかの基準がなければ,精神障害かそうでないかを判別/区別できません。判別/区別するためには何らかの基準が必要です。この基準の一つは何かというと「平均」です。

「この年齢では多くの子がこういうことができる」
「こういう場合,多くの人はこういう行動をする」
「平均はこれくらい」

というように,当事者以外が「平均」を作り出します。この「平均」はあくまで「平均」でしかないのに,いつのまにかそれが基準/規範的な意味を帯びてきます。そうなると「平均」と違うこと=差異が問題のように感じてきます。「マジョリティには名前がない」というようなことがどこかで書かれていたと思いますが(岸政彦×信田さよ子の対談どこどこ本かだったと思いますが…うろ覚え),まさに「平均」は問題にされず,差異が問題化(=名前のある存在)されていきます。そして,問題化されると,「大丈夫かな」「これでいいのかな」というように,当事者(とその周囲)は不安が喚起されます。そこにすかさず,差異の名前を与えて安心させる。そういう一連の流れが想定できるわけです。

当事者以外が「平均」という基準を作り出し不安を煽っているにも関わらず,「平均」からの差異に「名前」を与え安心感を当事者に抱かせることで,あたかも当事者を救っているように見せる,その自作自演さが「当事者が安心することは本当にメリットなのか」という疑問に潜む違和感だったと考えられます。

心理学について考える

心理学とは「心」の学問です。「心」とは,すなわち個人に立ち現れるものであり,その意味で心理学は個人を見つめなければなりません。別の言葉で表現するならば,心理学は差異こそを考えなければならないと言えます。「平均」を作り出し,「平均」に適応させることを考えるのではなく,差異を捉え,「平均」からの逸脱(=不適応)を考えること。それこそが心理学に必要なことであり,ニューマン&ホルツマンを通して考えたいことなのかもしれません。