文末に「ね」がつく文章

文末に「ね」がつく文章

 専門書を読むとき,文末に「ね」がついた文章を見ると,なんだかすんなり読めないことが多いです。なんでわざわざ「ね」を使ったのだろうと思ってしまいます。もちろん,「ね」を使ってはいけないというルールはないですが,たとえ教科書や入門書であっても,わたしは専門書の中にある「ね」で終わる文章に違和感をおぼえてしまいます。そのためなのかどうかはわかりませんが,わたしは文章だけでなく,講義中でも,「〜ですね」のような,語尾に「ね」がつくような話し方をなるべくしないように意識しています。わたしにとって「ね」は曲者です。

 なぜそこまでわたしは「ね」が気になるのだろうと思って少し調べてみました。主に文末に現れ,その文に色々な意味(希望,禁止,感動など)を添える助詞を終助詞と言いますので,「終助詞 ね」とgoogle scholarで検索をかけてみました。

 色々な研究があるもので,やはり「ね」も色々と調べられていました。「日本語の終助詞「ね」の持つ基本的な機能について」という論文によれば,終助詞「ね」には,発話に「ね」を付けることにより,その発話が妥当であるかどうかを,聞き手に問うという基本的な機能(発話確認)があるそうです。つまり,同意要求という機能が「ね」には備わっているとのことでした。

 なるほど,おそらく,専門書の中で「ね」を使われて違和感を感じてしまうのは,おそらくその文章にわたしが同意できないからかもしれません。「ね」があるときに常に違和感を感じるというわけではないので,納得できない文章で「ね」が使われると違和感をおぼえているのだと思います。

 ですが,「ね」が使われたとき,多くの場合で引っかかってしまうことを考えると,自分にとって納得できないような文章に「ね」がよく使われていると考えることもできそうです。すなわち,著者の意見を述べた文章に「ね」が付いているということです。そう考えると,「あなた(著者)の意見でしかないのに,同意を求められても…」という反発心がわたしの中にあるのでしょうか。だとしたら,自分はなんとも捻くれ者のように思えてきました。文末「ね」がいずれどこかの文章で出てきたとき,改めて少し考えてみたいと思います。