重回帰分析の適用上の問題の効果的な解消について:吉田・村井(2021)を読んで

重回帰分析の適用上の問題の効果的な解消について:吉田・村井(2021)を読んで

 先日、以下のようなツイートをしました。このツイートの意図は、「研究者の「勉強不足」だけに適用上の問題が生ずる原因を帰せても、効果的な解消には至らないのでは?」という趣旨でした。

 私の書き方が悪く、誤解を招いてしまった部分もあり、反省しています。ですが、思った以上にリツイートされ、(いずれ終わるとは思いますが、)誤解を招いているため、何を指摘したかったのか、ツイート以降に考えたことも交えながら、ここに記しておきたいと思います。

吉田・村井(2021)論文から読み取れること

 以下では、同論文に書かれていたことで、特に上記のツイートと関連する部分をざっとまとめつつ、そこから読み取れることを記載します。ページ数(p.〇)は論文pdfのページ番号です。

 まず、同論文では、冒頭で、「心理学研究において頻繁に使われた重回帰分析の適用上の問題は数々指摘されてきたにもかかわらず、不適切ないし誤った適用が現在も行われ、妥当性の低い主張が偏在している状況にある」という現状認識が述べられます。

 そして、その主な原因が

  1. 適用上の問題を指摘している文献を多くのユーザーが読んでいないこと
  2. 読んでいても、その指摘が抽象的で簡潔であるために、ユーザーに問題のリアリティが伝わっていないこと

にあると述べています。指摘側の記述の抽象性も一因として挙げていますが、「Pedhazur(1997)においても,他者の誤りを知って,それらに学ぶことの重要性について説いた上で,種々の問題が該当する研究を具体的に例示しながらの論述が行われている」(p.1)と記していることから、同論文では、基本的にはユーザー側に問題(原因)があるという認識であることがうかがえます。

 なお、「問題のリアリティ」が何を指すかについてははっきりしませんが、ユーザーが「問題を重要だと思っていない」あるいは「問題を理解していない」のいずれかであろうと判断しました。かりにそれ以外の意味でも、「基本的にはユーザー側に問題があるという認識」は変わらないのではないかと思っています。

 そして、本論文では、「現状を効果的に解消するために、問題点を整理して、心理学研究誌にて提示する」という論文の目的を述べます。論文の目的を念のため列挙しておきます。

  1. 問題点を整理すること
  2. 心理学研究誌に提示すること
  3. それにより現状の効果的な解消を目指すこと

 その後、約8pにわたり、重回帰分析の適用における問題を整理・指摘し、総括として、

  • 基本的なこととして・・・短絡的に[重回帰分析を]適用するのではなく・・・改めて自問するとともに・・・熟考することが重要である(p.9-10,[]は仲嶺が補足)
  • 本論文で指摘したような事態が解消されないまま続いてきたことには,「多くの研究者が(問題のある適用をしている)先行研究を無批判に模倣していること」や「基礎・基本的な事柄についての(生涯)学習が不足していること」が大きく関わっているものと推察される(p.10)
  • 事態を多少なりとも改善するためには,・・・重回帰分析に関する・・・著書や論文をきちんと読むこと・・・基礎・基本的な事柄について学習しておくこと」が必要であろう(p.10)
  • 研究の遂行に関わる不合理・・・についての知識の獲得が重要になるであろう(p.10)
  • 以上のような学習をした上で・・・各自が重回帰分析の適用の是非や適用の仕方について主体的に判断することが大切であろう(p.10)

と述べます。ほとんどユーザー(研究者)の「勉強不足」にのみ原因が帰せられていることが読み取れるかと思います。(係数の記号の表記法に関して「学会が主導して統一した方が望ましい」とありますが、属人的な理由以外に言及しているのはそこだけでした)。

 念のため補足しておきますと、ユーザーの「勉強不足」だけが原因だと吉田先生や村井先生が考えていないであろうとも思いますが、少なくとも論文上ではそのことが書かれていませんでした。

私が何を問題視していたのか

 たしかにユーザーの「勉強不足」はあると思います。吉田先生や村井先生が心理学研究法に関する問題点を様々にご指摘なさっていたことは、(たぶん)若手の私でもそれなりに存じておりますし、学会のシンポジウム等、方々で普及をなさっていたことも知っています。

 しかし、これまで散々、(Pedhazur(1997)を参照点にすれば)20年以上も指摘されてきたことに対して、なぜその状況が変わらないのでしょうか。かりに「勉強不足」が大きな原因だとすれば、20年以上も「勉強不足」なわけですから、いまさら「勉強不足」だと指摘したところで「現状の効果的な解消」につながるのでしょうか。

 私にはそう思えませんでした。ツイート時点で考えていた理由は2つあります。

 一つ目。心理学は強固に変わらないからです。仲嶺・上條(2019)でも取り上げた「心理尺度(構成概念)の乱立」は、これまで散々指摘されていますが、改善の兆しはありません(先生方にとっては釈迦に説法だと思いますが、それこそ、50年以上指摘され続けています)。いまだに心理尺度(構成概念)は乱立を続けています。論文を刊行する前から予想はしていましたが(そして、予想は当たってしまいましたが)、我々の論文でさえ、心理尺度作成のブレーキになるどころか、むしろ心理尺度を作る免罪符になってしまっています。これが、「あなたの勉強不足」を指摘しても、「効果的な解消」にはつながらないと考える理由の一つ目です(一時は改善するかもしれませんが)。

 二つ目。私自身が個人を「個人」として考えていないからです。たとえば、活動理論(Engeström,2015/2020)では、人間活動の構造を図1のように捉えます(ただし、杉万(2013)に倣い簡略化しています)。詳細な説明は、Engeström(2015/2020)杉万(2013)をご覧いただきたく思いますが、三角形たちの頂点は、それ単体では存在し得ません。たとえば、主体はそれ以外の頂点があって成り立っていますし、その主体は(ここでは描かれていませんが)別の三角形の対象→結果であったりもします。抽象的だと思いますので、具体的な例で説明します。

図1. 人間の活動の構造(杉万,2013,p.81)

 吉田・村井論文では、研究者(の「勉強不足」)が不適切な論文を産出すると見ています。図2で言えば、赤三角を見ていると捉えられます。一面的には正しいと考えられます。しかし、図2の青三角で示したような関係も、研究者は(不)適切な論文と取り結んでいます。これまでにどのような論文が(適切にしろ不適切にしろ)出版されていたかは研究手法の使用規則を形成すると考えられますが、その使用規則によって研究者が出す論文は規定されますし、論文刊行にあたり受けた査読によっても規定されます。そして、それぞれの頂点は、その頂点を含む別の三角形(つまり、歴史)も形成しています。すなわち、研究者が(不)適切な論文を出すかどうか(図2の太横線)は、研究者の知識(不足)だけには還元できず、また、知識不足も研究者の努力不足には還元できない、文化-歴史的な背景をもつものです。そして、一つ目の理由と絡めて考えると、このことが重要な意味をもつと考えます。属人的な理由(研究者の「勉強不足」)に帰すのは簡単ですが、そのような見方をしないように極力心掛けるのが、心理学者(とくに社会心理学者)の仕事だと私は考えています。

図2  具体例

 以上が、先のツイートの趣旨でした。「教えられてないもん」とか「そんな難しい話を言われても」とか、そのような「甘え」みたいなことを言っていたわけでありません。著者の責任にするなと言っていたわけでもありません。「効果的な解消」を考えるのであれば、心理学方法論に興味があり考えたいと私も思っているからこそ、「あなたの勉強不足」に帰すことを強調するのには違和感がありますと表明しました。(つまり、目的3を達成できないのでは?という意見表明です。)

 そして、もう一つ、あらためて考え直して(というか、連れ合いに指摘されて)、思ったことがあります。それは、「あなたの勉強不足」は権力勾配を再生産するだけだということです。これは「あなたの勉強不足」という指摘一般に言えることではありますが、具体性をもたせるために、心理統計の勉強で考えてみます。

 (とくに統計に疎い)心理学者は感じると思いますが、心理学には統計に強い者と弱い者の間に「権力差」があると思います。統計はいくら勉強しても「統計強者」にはほとんど追いつけないというジレンマがあります。私もその一人です(なので、ちょっとくらい統計に強くなろうと思って、中学数学からやり直しました、いま反比例)。「あなたの勉強不足」と言える方は良いかもしれませんが、言われた方は常に「弱者」です。そのことにもう少し敏感になってもいいのではないかと思います。これは「強者」が「弱者」に教えていない、ということを意味しません。むしろ積極的に教えてくれていると思います。念のため補足しておきますが、ここでの話は、勉強できる側が勉強できない側に「勉強不足」と指摘することの意味についてです。

 もちろん、勉強しなくていいと言っているわけではありません。基本は押さえておかないといけないと思いますし、そのための努力も必要でしょう。

 しかし、統計ができないと心理学ができないというそのシステム自体がおかしいと考える方が心理学にとって生産的であると思います。たとえば、変な例を出します。研究設計(実験や質問紙)や問いの立て方が抜群にうまいけれども、かけ算はからっきしできない、もちろん統計なんて聞くだけ嫌だ、という人がいたとします。この場合、この人は心理統計の勉強不足だから心理学者になれない、心理学はできないのでしょうか。誰よりも抜群に面白い問いと研究計画が立てられるのに、データ分析ができないだけで。心理学にとってマイナスでしかないでしょう。それよりかは、統計ができなくてもなんとかなるような分業体制を整えるとか、共同研究できるような支援システムを築くとか、そちらを考えた方が生産的ですし、権力勾配は減らせます。不適切ないし誤った適用の効果的な解消にもなるでしょう。

まとめ

 長くなりました。繰り返しになりますが、勉強はした方が良いと思いますし、みんなが勉強してくれれば、不適切ないし誤った適用はなくなると思います。しかし、それだけに原因を帰しても効果的な解消につながるとは思えません。啓蒙も大事ですが、啓蒙がうまくいくことを前提にするのではなく、啓蒙がうまくいかなかったとしても解消するにはどのようにしたら良いのかを考える方が心理学にとって良いのではないかと私は思います。