「出会いがない」とはどういうことなのか?

「出会いがない」とはどういうことなのか?

恋愛や結婚をしたい人の発言として「出会いがない」や「いい人に出会えない」という発言はよくみられます。実際,国立社会保障・人口問題研究所の出生動向基本調査(p.19)においても未婚者(25~34歳)が独身でとどまっている理由(結婚できない理由)のトップは「適当な相手にめぐり会わない」です。この理由を端的にまとめるのであれば,「出会いがない」ということですが,では「出会いがない」とはどういうことなのでしょうか。

「出会いがない」にはいろいろなパターンがあると思います。もっとも容易に思いつくのが,性的な関心の向く相手がそもそも身の回りにいないというパターンです。たとえば,異性愛者であれば,極端な例を出せば,職場にそもそも異性がいないなどです。このパターンを,恋愛対象となる性が身体的に存在しないと呼ぶことにします。

しかし,よくよく考えてみると,恋愛対象となる性が身体的に存在しないパターンは,現実的にはほぼありえません。家と職場直結していて,お客さんは恋愛対象となる性以外であり,家と職場の往復以外はしないという人であれば,恋愛対象となる性が身体的に存在しないと言えるでしょうが,そのような人はほとんどいないでしょう。たとえば,自営業をしている異性愛者の男性が,住宅兼事務所で暮らしており,そこから一歩も出ず,お客さんはつねに男性という事例は,存在するかもしれませんが,かなりレアだと思います。

というわけで,多くの人は「恋愛対象となる性が身体的に存在しない以外のパターン」で「出会いがない」と考えられます。

そのパターンの一つとして思いつくのは,性的な関心の向く相手から関心を持ってもらえないというパターンです。言い換えると,自分の好きな人から好かれないということです。このパターンを,自分が恋愛対象と認識してもらえないと呼ぶことにします。

このパターンは,「出会いがないわけではない」と言えます。なぜなら,身体的に出会ってはいるためです。問題は「好かれないこと」にあります。したがって,ここで言う「出会いがない」とは,身体的に出会いがないという意味ではなく,社会的な出会いのなさを意味しています。

また,自分が恋愛対象と認識してもらえないパターンの裏側もあります。すなわち,自分が相手を恋愛対象として認識できないパターンです。身の回りに恋愛対象となる性は身体的に存在しているものの,だからといってその相手を好きになれないということです。ここで言う「出会いがない」も,もちろん,社会的な出会いのなさです。

その他のパターンとしては,そもそも関心を向けて良い恋愛対象がいないというパターンもあるでしょう。たとえば,身の回りは既婚者だらけとか,通勤電車で毎日一緒になる相手とか,自分の性的指向と相手のそれとが不一致とか,です。もちろん,原理的には関心を向けてまったく問題ないわけですが,社会規範上,そのような相手には関心を向けづらいと考えられます。ここでも,恋愛対象には身体的に出会っていますので,「出会いがない」の意味は,社会的な出会いのなさにあります。

ここまでの話をまとめると,要するに,「適当な相手にめぐり会わない」とか「出会いがない」とかは,「社会的に出会いがない」という意味であると考えられます。いろいろ述べた後で改めて考えると,「適当な相手に(めぐり合わない)」というのはまさに「社会的に(出会いがない)」という意味なので,ある種自明だったとも言えるのですが,では,「社会的に出会いがない」とはどういうことなのでしょうか。

社会的に出会いがないパターンとして上で言及したのは3つありました。

  • 自分が恋愛対象と認識してもらえない
  • 自分が相手を恋愛対象として認識できない
  • そもそも関心を向けてよい恋愛対象がいない

ここでの共通項は,おそらく「揺らぎがない」ことであるように思います。揺らぎがないとは,コミュニケーションの仕方が安定化していたり,関係の在り方が固定化していたりすることです。

たとえば,自分が恋愛対象と認識してもらえない場合,相手とは常に同じようなコミュニケーションをしていないでしょうか?コミュニケーションの安定性はたしかに不安をなくしますが,安定とは揺らぎがないことなので,別の関係性(友達から恋人へなど)に変わるきっかけがないことをも意味しています。

自分が相手を恋愛対象として認識できない場合も同じです。相手とは一定の場(たとえば,職場であれば職場)でしかコミュニケーションをしていませんでしょうか?どのような場であるのかはコミュニケーションを規定しますので,コミュニケーションする場が同じであれば,揺らぎがありません(家族に対するコミュニケーションと友達に対するコミュニケーションは違いませんか?場がコミュニケーションを規定するとはこのようなことを指しています)。場を変えることで,今まで恋愛対象と見ていなかった相手を恋愛対象と見ることができるようになるかもしれません。

関心を向けてよい恋愛対象がいない場合はわかりやすいかもしれません。何らかの社会規範のせいで,関係が固定化されてしまっているので,そのために揺らぎがないわけです。たとえば,通勤電車で一緒になる相手に話しかけるのは,現在の社会ではかなり厳しい制約があると思います。だから,揺らぎを作りにくいわけです。

以上のことから,「社会的に出会いがない」とは,「関係性に揺らぎがない」ということを意味します。逆に言えば,関係性に揺らぎを作れれば,社会的に出会いが生まれる可能性があると考えられるかもしれません。

職場でしか話したことがなければ,プライベートで話をする機会を作ってみるとか,仕事の話題しかしたことなければ,休日に何をしているかについて話してみるなど,揺らぎの作り方はいろいろありえると思います。ただし,大事なのは,揺らぎを作るためには余裕がなければならないということです。余裕とは時間の余裕や,お金の余裕です。時間がなければ雑談している暇もありませんし,お金がなければプライベートでわざわざ交流しようとも思えません。

そう考えると,「出会いがない」とは,現代の余裕のなさが生み出した必然的帰結なのかもしれません。

余談というか言い訳

上述したことは,まだまだ思考が練れていません。思考の途中経過をとりあえず言語化してみました。よくわからない点がありましたら,ぜひご指摘ください。

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