ドラッグとしてのナンパ

ドラッグとしてのナンパ

 7月8日はナンパの日らしいです。なんのためにある日なのだろうという感じもしますが,せっかくですので久しぶりにナンパについて書いてみたいと思います。

ナンパとは何か?

 そもそもナンパとは何なのでしょう。「ナンパの社会史」という修士論文では,「男性が見知らぬ異性に対して性的な意図をもって声をかけ,短期的な性(愛)的関係を構築してくこと」がナンパだと定義されています。あるいは,「セックスという一般的に親密度がかなり高いコミュニケーションを達成するために,親密性がゼロの状態からセックスが可能なレベルまで急ピッチで引き上げること」とも言われています。坂口(2009)では,「一般的に男性が女性に対して,面識や交友関係がないのに性的な意図をもって声をかけ誘うこと」と定義されています。個人的には,「性的な意図」を持たずに声をかけることもあると思いますので(仲嶺,2015),「道端等で男性が見知らぬ女性に話しかけて遊びに誘う行為」がナンパかなと思います(仲嶺,2019)。これらのエッセンスだけ抽出すると「男性が見知らぬ女性に声をかけること」がナンパ,もう少し広義に捉えると,ナンパとは「男性が見知らぬ女性に声をかけ,何らかの関係構築を行うこと」と言えるかなと思います。

ナンパのプロセス

 では,ナンパはどのように進展していくのでしょうか。ここでは「ナンパの社会史」を参考にまとめてみます。なお,同論文に基づいて,ナンパ師たちが内輪で使う特殊な用語は<>で括ることにします。

 ナンパは以下のようなプロセスで進んでいきます(図1)。

図1. ナンパのプロセス

(1)<声かけ>

 当たり前ですが,まず声をかけないと始まりません。<声かけ>がナンパのスタートです。そして,経験者はご存知だと思いますが,この<声かけ>が一番ハードルが高いです。慣れていないと,「あの子には断られそう」「今はタイミングじゃないからもう少し様子見た方がいい」などと様々な理由をつけて,ナンパのスタートを遅らせます。ナンパ講師たちが「数をこなせ」と指導するのは,<声かけ>に対する慣れを作らせるためです。

(2)女性の対応:<ガンシカ> or not

 <声かけ>のあと,女性はそれに反応するか<ガンシカ>をするかの2種類の対応をします。<ガンシカ>とは頑としてシカトの略で,要するに女性が<声かけ>を一切無視するという反応です。女性に<ガンシカ>をされた場合,ナンパした男性は引き下がる(諦める)か,<ガンシカ崩し>,つまり,さらに果敢に<声かけ>を続けるかを選びます。<ガンシカ崩し>のテクとしては,女性に並行しながら歩いて話しかけ続ける<並行トーク>(※),動作や発話でとりあえず女性に立ち止まってもらう<ビタ止め>があります。無理やり止めるのは,足を止めさせると,次の段階にうつりやすくなるためです。

(※)「ナンパの社会史」では<平行トーク>となっていますが,おそらく誤字だと思います。

 (3)<なごみ>

 反応をもらえたり,<ガンシカ崩し>がうまくいった場合は次の段階である<なごみ>に移行します。<なごみ>とは,世間話や身の上話などをして相手の女性の心を開く段階です。恋愛関係の開始モデル(Bredow et al., 2008)で言えば,段階4のラポールの形成に相当すると思います。親密性をうまく深められたら次の段階に移行できますし,無理であれば関係が構築されないで終わります。

(4)<番ゲ>/<アポ>/<連れ出し>

 <なごみ>がうまくいくと,<番ゲ>あるいは<連れ出し>が始まります。<番ゲ>とは連絡先の交換です。仲を深める一環として交換することもありまし,<番ゲ>のあといったん会話を終えて,後日に会う予定(<アポ>)を立てるために交換することもあります。<番ゲ>で終わるか,<連れ出し>(その日のうちに飲みに行くなど他の場所に一緒に移動すること)を行うかは,相手の反応の良さ(盛り上がり)によります。いずれにせよ,親密性をより深めるために行われます。

(5)<ギラつき>

 <アポ>あるいは<連れ出し>の次は,最終段階の<ギラつき>です。<ギラつき>とは,言葉やボディタッチによる具体的な誘惑の行動を指します。「ナンパの社会史」では,ナンパの目的をセックスに限定しているので,最終段階は<ギラつき>になりますが,そうではない場合は,求愛行動や親睦を深める行動になるでしょう。要するに,何らかの関係性の構築を目指した行動が行われます。

 以上がナンパのプロセスです。ざっくり言うと,女性に声をかけて何らかの反応をもらえたら,会話をして仲を深めて関係構築を目指す,という普通の恋愛でも生じうるプロセスを「時短」で進めるのがナンパだと言えます(※)。

(※)あるナンパ師が,ナンパは恋愛の「時短」テクニックだと述べていたそうです(立石,2017,p.30)。

ナンパの社会的意味

 しかし,ナンパはもともと恋愛の範疇には入らないものでした。たとえば,大正期にもナンパ(軟派)と呼ばれる行為がありましたが,それは不良青少年が行うもので,暴力は使わないものの,恋愛関係に依って婦女子を弄ぶものでした。今で言う結婚詐欺みたいなものでしょうか。また,映画館等で相手の手に触れるなど犯罪ギリギリの行為も行われていたようでした。ナンパに関連する雑誌を調査した立石(2017)によれば,大正期から1960年代頃までのナンパは反社会的な行為としての側面が強かったとされます。

 ただし,1970年代に入って,ナンパが大衆化します。これまでの「不良文化」としての側面が消失し,盛り場であれば誰でも参入できるようになりました。1980年代には「大学生なら誰でもやる当たり前の文化」としてナンパが全盛期を迎えます。つまり,ナンパは「大衆文化」になりました。

 しかしその後,1990年代が進むにつれ,ナンパが行われる場は多様化していきました。盛り場から「地元」へ,リアルからバーチャル(テレクラ,インターネットなど)へなど,ナンパのフィールドが拡散します。これはナンパの個人化を招きます。要するに,「大衆文化」としてのナンパが,個人の趣味としてのナンパになりました。おそらくこの辺りから,ナンパが恋愛の一形態に入るようになったのかもしれません。そして2000年代に入ると,ナンパは「好きな人が好きなように」行う行為となり,ナンパ・コミュニティもネット上でつくられていきます。このような時代のナンパの意味を立石(2017)は「自己啓発」と呼んでいます。

 まとめると,ナンパは文化の地位から引き摺り下ろされたと捉えることができるかもしれません。もともとはカウンターカルチャー的な側面があったナンパに対して,一種のブームが起こり,大衆文化になった。しかし,その文化が「偽り」であるとされ,解体された,と。

 おそらくこれには,ナンパの手段が多様化し,ナンパが個人化していった1990年代に,ナンパの手段の一つであったネットワークメディア(電話,インターネット)が性犯罪の温床と化していたことと関連があるかもしれません。その例として援助交際をあげればイメージが湧くでしょうか。もちろん,それ以前にもナンパによって犯罪被害は起こっていたと思いますが(もともと犯罪的な側面がありますし),新しいメディアで生じた象徴的な出来事はそのインパクトが大きくなります。そのために,ナンパが文化よりも犯罪と近くなり,多くの人が行う当たり前のものから,やる人はやる行為に変質していったのかもしれません。

ナンパとはドラッグである

 そう考えると,ナンパとはドラッグのようなものとも言えるかもしれません。もともと不良たちの間で,ある種自分たちの「力」を誇示するために使用していた「ドラッグ」が,既存の制度へのカウンターとしてのムーブメントとして流通し(ヒッピー文化を想像してもらうとわかりやすいかもしれません),その後,違法なものとして取り締まりが強化された。それでも,嫌なことから逃れたり,嗜癖的にやめられなくなったり,自分を変えるたりする(=変性意識状態:宮台,2013)ために使用される。

 久しぶりにナンパについて考えてみましたが,現代のナンパはドラッグカルチャーとして読み解けるのではないかとふと思いました。