読書感想|心の七つの見方

読書感想|心の七つの見方

Wallach, L., & Wallach, M. (2013). Seven views of mind. New York: Taylor & Francis.
(ウォラック,L.,& ウォラック ,M.岡 隆(訳)(2016).心の七つの見方 新曜社)

本書紹介 from 新曜社

心とは概念であり,依拠する立場の違いによりその捉え方が大きく異なる。代表的なパラダイムとして,二元論,言語哲学,行動主義,認知科学,脳神経科学,科学的構成主義,社会的構成主義の七つを紹介。心について考える入門書としてオススメの一冊。

本書感想

合コンで心理学を勉強・研究していますと言うと,決まって言われることがあります。

「心とか読めるのー?」
「なに考えてるかあててみてー!」
「操られてる感じするー」

「ご期待に沿えず,すみません。心読めませんし,操れません。というか,”こころ”って色々な捉え方があるんですけど,知ってます?」

なんて返すと嫌な顔をされるので,良い子はマネしないでください。

でも,安心してください。嫌な顔をされるのは合コンのときだけです。心理学を学ぶ上では知っておかなければなりません。なぜなら,心理学(者)の立場によって“心”の捉え方が違うからです。

“心”の捉え方は実は多様にありますが(『心の哲学』(新曜社)第一部を参照),本書では心理学において主要な七つの心の見方が紹介されます。

最初に紹介されるのは,デカルトに代表される二元論的な心の捉え方。心は非物理的な世界に属します。なるほど,心と身体は別ってやつですね。でも,そうだとしたら,物理的な身体に,非物理的な心はどうやって影響しているの?物理的な世界にないものが物理的な世界にあるものに影響するってオカルトじゃない?確かに,これは解決困難な課題です。

そこで,これを乗り越えるために,デカルト的な二元論に陥らない6つの考え方が紹介されます。

心があるように感じるのは,言葉の使い方のせいです。心(たとえば,欲求)に対して物理的な実体(たとえば,鉄球)と同じような言葉の使い方をする(欲求を“持つ”,鉄球を“持つ”)から,物理的な実体と同じように心もあると勘違いしてしまうのです(話し方としての心)。いや,むしろ,心とは言語(会話)そのものでしょう(社会的構成概念としての心)。

そんな“心”という曖昧なものはやめて,すべて行動で考えていくのが科学としての心理学の正しい道では(行動としての心)?でも,それだと行き詰まる部分もあるから,心とはパソコンにおけるソフトウェアみたいなものっていうのはどうだろう(頭の中のソフトウェアとしての心)?イヤイヤ,心はもはや脳ですよ(脳としての心)。

でも,脳だけで人間は語れないよ。ちゃんと定義した科学的な構成概念は必要だよ(科学的構成概念としての心)。

以上,ざっくりと概観しました。色々な立場の心”の捉え方が利点や欠点とともに紹介されます。そして,最終的には著者らが考える第8の見方が簡潔に提案されます。訳者曰く,ある心的状態を別の心的状態と区別するための名前としての心という見方です。この見方については本当に簡潔にしか提示されないので,続編を待つばかりです。(2020年5月現在,Wallach, L.が何かの論文や本を書いている記録は確認できませんでした。)

本書を読めば,あなたは“心”をどのように捉えるかについて考えざるを得なくなるはずです。そしてそれは理論が弱いと言われる心理学にとってはとても良いことだと思います。

ところで,冒頭で合コンの話をしましたが,心の捉え方を決めたら嫌な顔をされずに済むかもしれません。

「心とか読めるのー?」
「なに考えてるかあててみてー!」
「操られてる感じするー」

「なるほど。君はどうも科学的構成概念としての心を想定しているようだね。その隣の君は脳としての心かな。最後の君はソフトウェアとしての心だね。ちなみに,僕は名前としての心なんだ。」

ぜひお試しください。