開催記録|【第2回】特集「On defining and interpreting constructs」を読む@オンライン

開催記録|【第2回】特集「On defining and interpreting constructs」を読む@オンライン

 先日,特集「On defining and interpreting constructs」を読む勉強会をオンラインで開催しました。

 勉強会の目的は以下です。

1. 論文をリソースとして構成概念について議論する
2. 「心」を捉えるという営みについて議論する

 以下はそのときの記録です。

第2回勉強会

参加者:9名
開催日時:2020年12月10日(木)
開催時刻:19時〜21時10分

第1報告

Statisticism in personality psychologists’ use of trait constructs: What is it? How was it contracted? Is there a cure?

── 報告者:三枝 高大(個人差,パーソナリティ)

 本論文を簡潔に表現すれば,「個人間データにもとづいて個人(内)を予測・説明することは原則的にできない(“統計主義”の問題)」「個人差研究は,集団における個人の間の差を研究するものである」「パーソナリティ研究は何を目指すのか?」という内容でした。

 これまでの心理学(パーソナリティ心理学)で批判されてきた問題を,あらためて文献を引用しながら整理し直した(展望した)論文と位置づけられるかと思います。

第2報告

What makes a hypothetical construct “hypothetical”? Tracing the origins and uses of the ‘hypothetical construct’ concept in psychological science

── 報告者:仲嶺 真(心理学論,恋愛論)

 本論文を簡潔に表現すれば以下です。

現在使用されている「仮説的構成概念」は,3つの観点(定義的・存在論的・認識論的)での混乱がある。それを整理し,精緻化すれば,「仮説的構成概念」がどの程度有用になるかが明らかになるであろう(本論文はあくまで整理?)。

 仮説的構成概念が,心理学にとってどこまで有用なのかについては明確な結論は出ていません。しかし,すくなくとも仮説的構成概念を「仮説的」にしているのは,仮説的構成概念が言及する何らかの実体が「仮説的」だからであって,その構成概念自体が「仮説的」ではないことはたしかであり,仮説的構成概念自体はその意味を概念的(定義的)にはっきりさせる必要があるという主張なのかなと思いました。

次回に向けて

 次回はいよいよ最終回です(といっても毎回独立したかたちでの発表なので連続性はあまりないです)。今回は心理学以外の分野を専門にしている方にもご参加いただき,いままでとは違った議論がなされました。とても刺激的でした。

 構成概念について考えることは簡単なことではなく,毎回すっきりしないままではありますが,一歩ずつ自分の頭で考えることが大事なのかなと思っています。

 ぜひみんなで考えていきたいと思っていますので,ご興味のある方は遠慮なくご連絡いただけますと幸いです。