基準を作ること:否定性に基づいた基準ではなく,可能性を広げる基準づくりについて

基準を作ること:否定性に基づいた基準ではなく,可能性を広げる基準づくりについて

 Twitterで「婚活コンサル」を名乗る人のあるツイートを見た。趣旨は以下。

田舎に住む人は結婚相手がいないと言うけれど,そう言っている時点で「負け」。「勝ち組」は,早いうちに相手を見つけて結婚する。そのことに気づけなかった時点で「負け組」。

Twitterより

田舎の方が結婚しやすいから,田舎にいるのに結婚していないのは自分のせい。

Twitterより|先のツイートを引用リツイートした上で

 この主張の妥当性はともかく,こういった「否定性に基づく基準づくり」はご本人(婚活コンサル)の仕事を増やすためにはいいのかもしれないけれど,婚活者の可能性という点では負の作用があるのではないかと思う。

 どういうことか。

 まず,「否定性に基づく基準づくり」とは,「〇〇ができないとダメだから,〇〇する方がいい」という基準のつくり方である。たとえば,「オタク的な趣味はモテないから,旅行とか二人で楽しめる趣味の方がいい」などである。

 これの何が問題かというと,序列ができることである。オタク的な趣味は(モテという点では)下位,旅行は(モテという点では)上位,というように,序列ができるし,それがいつのまにか「モテという点では」という前提が消えて,オタク的な趣味をもつ人はダメという話になる。そうなったら婚活者の苦悩は目の前である。オタク的な趣味をもつ人はどうするのか。それを隠して婚活すればいいのか。いつまで隠し続ければいいのだろうか。

 序列ができるとは,ダメな人を作り出すことである。そして,最悪の場合,それがその人の責任とされる。たとえば,上のツイート(「田舎にいるのに結婚していないのは自分のせい」)に顕著だが,序列を作ったのは誰か?ということを抜きにして,その序列に適応できていないお前が悪いという話になる。(そうやって悩みを抱えた人がコンサルを頼るので,コンサルが「否定性に基づく基準づくり」をすることはコンサル自身にとっては合理的である)

 こうやって「否定性に基づく基準づくり」は一見すると,婚活者の改善点を提示しているように見えて(基準があるから努力しやすい部分はある),実は婚活者の可能性を奪っている。当たり前だと思うけれど,「ダメな人」がいない方が,婚活者にとっては望ましいと思う(個人的にはそう思いますが,そう思わない人もいるのかもしれない)。

 だから,婚活コンサルを含め,婚活を支援する人が目指すべき方向は,「否定性に基づく基準づくり」ではなく,「可能性を広げる基準づくり」だと思う。別の言葉で言えば,婚活者の否定性を肯定性に変える基準づくりとも言えるかもしれない。その基準づくりは簡単ではない。だから,率直なことをズバッと言えば,それが一つの基準になる「否定性に基づく基準づくり」が多くなるのだと思うのだけど,それは全員にとって良いものではない。そのことに十分に自覚的にならないと,本当の意味で「支援」とは言えないと思う。