『BULL/ブル 心を操る天才』を観ています

『BULL/ブル 心を操る天才』を観ています

 少し前は『メンタリスト』をよく観ていました。「心を読んで」犯罪捜査をしていくパトリック・ジェーンの生い立ちと推理の面白さにいつの間にかはまってしまい,「心を読めたらいいなあ」なんて思いながら観ていた覚えがあります。

 あれからしばらく,海外ドラマはほとんど観ていなかったのですが,新しく面白いドラマをみつけてしまいました。『BULL/ブル 心を操る天才』です。WOWOWのサイトでは『BULL/ブル 法廷を操る男』となっていて,こちらの副題の方が内容をよく反映していますが,amazon primeではなぜか「心を操る天才」という副題になっています。

 このドラマは,「法廷を操る男」という副題からご想像の通り法廷が舞台です。法廷が舞台だからといって主人公は弁護士ではありません。裁判官でもありません。「心を操る天才」が示唆するように,主人公は心理学者です(心理学以外に2つの博士号を取得しているらしい)。心理学者が裁判科学を使って,原告あるいは被告の力添えをします。原告側の場合は被告が有罪になるように,被告側の場合は被告が無罪になるように助けます。

 助けると言っても主人公1人で助けるわけではなく,主人公は裁判科学の会社を設立していますので,原告・被告からの依頼を受けて,組織として依頼者に援助していきます。

 では,どのように援助するのか。上で繰り返し登場しましたが,裁判科学を使ってです。裁判科学?聞きなれない単語だと思います。裁判科学とは,陪審員の様々なデータ(年齢,住所,趣味嗜好 etc…)を時には違法に(?)入手しながら,その陪審員の評決(有罪 or 無罪)を読み解く技術です。科学技術を応用して裁判を有利にすすめるコンサルタント業が裁判科学の会社です。裁判科学を使うとともに,時に主人公の「心理学」を使って,依頼者を助けていく,そんなストーリーです。

 最初観たときは正直「メンタリストのオマージュ」かと思いました。が,今のところ個人的には面白いです。何が面白いかというと,「ストーリー(物語)こそ事実だ」という点です。

 同ドラマでは事実かどうかをブル(主人公)が見抜きます。たとえば,検察から訴えられた被告を見てブルが「無罪」だと思っている被告は本当に無罪です(もちろんブルが無罪という事実を神的に知るのではなく,自分の「心を読む」力から確信を持っているだけです)。しかし,周り(陪審員など)はそれを見ぬけません。そこでブルは,「無罪」がもっともらしい被告のストーリーをつくり,弁護士にそのストーリーを陪審員の前で語るように求めます。ただし,作ると言ってもでっち上げるわけではなく,それっぽく加工するという意味です。たとえば,お昼に牛乳を買いに行った人がおやつの時間にホットケーキを作ったとします。「おやつの時間にホットケーキが食べたかったからお昼のタイミングで牛乳を買いに行ったんだ」というのはそれが事実かどうかはともかく,とてもありえそうなストーリーです。このように法廷で検察官と弁護士がストーリー(物語)を闘わせ,原告・被告どちらのストーリーがもっともらしいかを競う様子が描かれます。

 ドラマの場合,ドラマだから事実かどうかはわかりますが,これが現実だとしたらどうでしょうか?私たちは自分のこと以外,絶対的に事実を知りえません。もしかしたら自分のことでさえ事実を知りえないかもしれません。事実かどうかは間接的に接近していくしかなく,「これが事実だ」と信じるしかありません。そして,余談ですが,このような事実への到達不可能性(あるいは,多様な真実からの事実確定)がハラスメントとかの問題を難しくしています。

 では,事実かどうかを判断するために私たちはどうしてるのでしょう。おそらく真実(あるいは,真実っぽさ)が重要な要件になっているように思います。たとえば,「恋人が自分の友人とホテル入っていくところ」を目撃したとします。多くの人は恋人が浮気している(事実)と判断すると思います。だって,恋人が「ホテルに入って君の友人とサプライズパーティーを企画していた」と言われてもウソだと思いますよね。そんなストーリーはありえないからです。もっともありえるストーリーは「ホテルで浮気していた」でしょう。

 このように私たちは事実かどうかをストーリーの真実味で判断しています。逆に言うと,ほとんどの事実を確定できない現実社会では,ストーリーの真実味が事実を決めると言っても過言ではないように思います。

 少し考えると恐ろしいことですが,以上のことから,私たちが,ルポとか小説とかドラマとか映画とか多様なストーリーを観る大切さがうかがいしれるかと思います。

 もし1通りのストーリーしか知らないならば,ある出来事を多面的に判断できません。もしかしたら,事実ではないことを,ストーリーの真実味を基に事実と判断してしまうかもしれません。しかし,多様なストーリーを知っていれば,多面的にある出来事を判断できます。必ずしも事実を判断できるとは限りませんが,少なくとも1通りしかストーリーを知らない場合よりは,事実により接近できるでしょう。

 映画を観るのは贅沢,アナロジーは無駄,などと仰る方とたまに出会います。そのような感性は否定しませんし,それはそれで良いと思いますが,少なくとも私は研究者として「世界の事実」を知りたいからこそ,上記のようなストーリーの多様さを大切にしたいと思っていますし,そのようなストーリーを伝えてくれる様々な媒体を大切だと思っています。

 海外ドラマの話をしていたはずが,思わぬところに着地してしまいました。ちなみに,同ドラマは現在第三シーズンが放送中のようです。私はまだ第二シーズンの途中までしか観ておらず,第二シーズンは主人公の魅力が第一シーズンよりも減ってしまい,モヤモヤしながら観ています。でも,「成功すると人間はこうなるのか?」という教訓として観れるかも?などと思っています(同ドラマには実在する人物モデルがいるので)。第三シーズンのための布石かもとも思って観続けていますが,どうなるのか期待と不安でいっぱいです。

 ところで,最後に言っておかなければならないことがありました。

 心理学で人の心は読めませんので悪しからず。

 というか,心は「関係の効果」なので,そもそも「人の心」という言葉遣い自体がおかしいのです。それはまたいずれ書きます。